自由なJRA
シービスケットはそれまでにSが扱ったどんな馬よりも、体重が増えやすかった。
馬をだめにするいちばん手っ取り早い方法は過度の調教だと考えるSは、シービスケットの減量問題を克服するべく、独創的な手段に訴えた。
午後の調教が予定されている朝、Sは馬勤と鞍を馬の見えるところに置き、朝の餌は与えず、通常の朝の調教も飛ばし、ほかもすべてレース当日と同じようにした。
馬具を見て、今日はレースだと思いこんだシービスケットは、緊張して食事への関心を失い、その結果体重を減らす。
その後Sは午後の調教を、あたかも馬がレースに出ているかのように行った。
この作戦が功を奏し、シービスケットは体重を増やさずにすんだ。
秘密調教の最後の目的は、サディスティックな歓びだった。
記者や計測員に苦杯をなめさせるたびに、Sは計り知れない満足を覚えた。
この練達の調教師は人と変わったユーモア感覚の持ち主だった。
記者が集う馬房長屋のベンチに、ずっと先の馬房から電線と馬具で電気を引き、昼間にベンチに座って休もうとした馬の散歩係たちに電気ショックを与えて死ぬほど驚かせたこともある。
ひとたびマスコミの寵児となると、追い回す連中を混乱させ、裏をかくことが、彼にとって無上の歓びとなった.記者たちはSに無限のチャンスをもたらした。
シービスケットはこの国最大の新聞ネタのひとつだったため、彼らは懲りもせず、何度でも罰を受けに来たのである。
馬の記事を書かないと飯の食い上げになる人々にとって、Sはとことん蹟にさわる存在だった。
「競馬記者と計測員はT・Sを呪った」とある記者は嘆いている。
「だが、たいていの場合、それが彼らにできる精いっぱいのことだった」.秘密調教はじゅうぶんシービスケットの役に立っていたが、Sがマスコミにいっさいの説明を拒んだため、はなはだしい誤解を招くことになった。
シービスケットがめったに人前に姿を現さなかったことから、この馬は病気だという噂に火がつき、馬の不規則な足取りがそれに輪をかけた。
Sはほとんどなんの訂正もしようとしなかった。
「あんたんとこのあの馬は歩けないじゃないか」。
つっかえつっかえ歩くシービスケットを見て、観客のひとりがいった。
「だが走れる」とSは応じた。
この時期、馬の健康状態にはなんの不安もなかったにもかかわらず、話を大げさにするぎらいのある記者たちは、お決まりのようにこの馬を″暇もの″と称するようになった。
噂は事実として受け入れられ、じきにその言葉はシービスケットの代名詞になる。
この誤解はのちにSにとって、大きな頭痛の種となった。
そのSも全員をたぶらかすわけにはいかなかった。
〈ロサンジェルス・タイムズ〉と〈サンフランシスコ・クロニクル〉のコラムニスト、Oは、真に競馬を知りつくした数少ないライターのひとりで、西海岸の競馬記者のあいだでは長老的な存在だった。
すぐさま、OはSのたくらみを見抜いた。
サンタ戦の直前、OはSが午前3時にシービスケットを走らせていることを知った。
「シービスケットとグレタ・ガルポはこの先、賭けの用紙で同じ組に入れるといい」と彼は〈ロサンジェルス・タイムズ〉に書いた。
「どっちも放っておかれたがっている」さすがに記者たちや計測員も、Sがなにかたくらんでいることに気づきはじめた。
大半は、Sが彼らを嫌うのに負けず劣らずSのことを嫌い、どうあってもそのたくらみの現場を押さえてやると意気ごんでいた。
SもSで、とことん彼らの邪魔をする決意だった。
かくして本格的な闘いの火蓋が切られた。
Sと異なり、Hは注目を喜んだ。
有名人の地位は彼本来の居場所だった。
彼は自分の馬が偉大であるだけでは満足しなかった。
シービスケットに求めていたのはその時代、そしてさらには将来におけるスーパースターの座だった。
単にレースに出すだけでは、その座は得られない。
そのためには大衆の気持ちをつかむ必要があった。
1937年のサンタ戦が終わると、Hは大衆の心の征服に乗り出した。
Hが最初にやったのは、馬の露出を極限まで増やすことだった。
そのために彼はひそかに、おそらくは前代未聞の規模で全国を回るレース行脚をくわだてた。
レースや相手を選ぶに当たっては、″来る者は拒まず″式の態度で臨み、果ては新聞にシービスケットの勝利を祝う全面広告を打ちだしました。
大衆の代理人たるマスコミが、このキャンペーンではもっとも重要な役割を担うことを理解していたHは、決して記者たちを放っておかなかった。
彼は文字どおり記者たちと寝食をともにした。
レースの前後に、記者席の階段を駆け上って質問や写真撮影に応じ、馬を乗せた列車が駅に着くと、記者会見の場に直行した。
彼はすべての報道機関に、シービスケットの旅程を知らせるよう心を砕いた。
妻とともに各紙誌のカメラマンの要望に応え、昼夜を問わず、いつでも記者たちの呼びかけに応じた。
Hはさまざまな手を用いて、自分の馬を取り上げた記事を操作した。
シービスケットに関する文章は一宇一句漏らさず読み、記者たちに長文の礼状やら反論を書いた。
全員の電話番号を手元に置き、個人的に電話をかけて、意見をひるがえさせたり、センセーショナルなスクープをそっと教えて優越感を満足させてやったりした。
彼は記者たちを使って、自分の人間的魅力だけでは篭らく絡できないレース開催執務委員の面々や競馬場のオーナーたちにプレッシャーをかけた。
新聞社主催の宝くじにシービスケット賞を提供し、多数の記者に特大サイズのシービスケットのクリスマスカードを送った。
銀製のシービスケットの蹄鉄などの高価な贈り物をすることもあった。
次第に、誰が誰を追い回しているのか、判然としなくなってきた。
しかしいかにマスコミの支配を目指そうとも、しょせんHはその奴隷だった。
自分の影響力には限界があり、記者たちの期待に背くような動きをひとつでも見せたら、さんざん苦労して築き上げたイメージも一気に水泡に帰してしまうことを、彼ははっきり理解していた。
この先の数年間で彼は、イメージの追求が馬の不利益になるという、危機的な瞬間を何度か迎えることになる。
Hにとってそれは、社会的な生活におけるもっとも困難な局面となった。
Hは僅差で敗れたサンタ戦の翌朝から、シービスケットの売り出しに本腰を入れはじめた。
彼は記者会見を自作自演して、記者たちの労を省いた。
「あの十万レースでRにおよばなかったせいで、われわれは意気消沈しているだろうか?」と彼は問いかけた。
「これっぽっちも!」自分の言い分を強調するために、彼は氷で冷やしたシャンペンの巨大な樽を記者席に贈った。
そこには「記者席のご健勝を祈って。
われわれはベストをつくしたシービスケットより」と記したカードが添えられていた.彼は勝った場合にのみシャンペンを贈ると約束していたが、「ものすごい接戦だったので、だったらかまうことはないと思った」とのことだった。
記者たちはすばらしい午後をすごし、泡立つ酒をすすっては、シービスケットのために熱狂的に乾杯した。
確かに報道陣はHとシービスケットの健康を祝福しては飲んでいたかもしれない。
だがPのために乾杯する者は、誰ひとりとしていなかった。
のちに彼は、H・Oを引用して、「名声とは死人が口にする食べ物。
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